【自己コントロール感アップ】補償的制御理論、コンペンサトリーコントロール理論について心理解説

ストレスの心理学
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コンペンサトリーコントロール理論とは?

コンペンサトリーコントロール理論(Compensatory Control Theory、CCT)」とは、私たちが日常生活のなかで不足してしまったコントロール感を補うための考え方です。日本語に直訳すると、補償的制御理論ですね。

これまでの研究結果から、人生の結果や自分の身体的・社会的環境をコントロールできるという感覚(コントロール感)は、人間の基本的な欲求であり、心理的・身体的な幸福に広く影響を及ぼすと考えられています。

簡単に言うと、人生や行動を自分でコントロールしている感覚を持つと健康で幸せになれるのです。

想像してみればわかりやすいのですが、自分にまったく決定権がないと嫌気がさしますよね。コントロール感を持つことは健康維持のために重要なのです。

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コントロール感を失うとストレスを感じる

しかし、人生というのはしばしばコントロールできないことが起こります。というよりも、世の中は人間にはコントロールできないことだらけですよね。

大きなもので言えば、自然災害や病気がそうです。身近なもので言うと、労働時間も一般的には8時間と定められていて自分ではコントロールできません。

このように仕方のないことであっても、コントロール感を失うと、徐々にストレスや恐怖が襲ってきて心身ともに不調が起こります。

 

失ったコントロール感を取り戻す作業

そこでコントロール不足によるストレスを軽減するために人類が編み出したのが補償的制御、コンペンサトリーコントロールです。

この方法では、自分でコントロールできないことではなく自分でコントロールできることに注意を向けて代替された方法でコントロール感を取り戻そうとします。

わかりやすい例が宗教的・迷信的な儀式です。その儀式自体には何の問題を解決する力はありませんが、これを行うことで不安感が取り除かれます。

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迷信を信じる心理的な理由

この心理的なアプローチはすべての人がとります。

無神論者でも宗教団体に入っていない人でも、神に祈ったり、心の中で念じたり、神社仏閣で祈願をしたり、自分の運の良さを信じたり、アクセサリーを付けたり、結婚式や葬式をあげたりしますが、これがまさにコンペンサトリーコントロールです。

物理的にはまったく意味のないことでも、心理的な効果を持つことで合理的な手段となりうるのです。

 

コントロール能力よりもコントロール感のほうが重要

コンペンサトリーコントロール理論では、メンタルヘルスにとってより重要なのは実際のコントロール能力ではなく、本人が知覚できるコントロール感のほうなのです。有名なプラシーボ効果みたいなものですね。

逆に言うと、一見すると他人や自然に従うしかない状況であっても、コンペンサトリーコントロールを使えばコントロール感を取り戻すことができるということです。

迷信や宗教だからといっても、科学的にはまったくバカにはできないほどの影響力を持っているのですね。

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参考論文

Suzanne Hoogeveen, Eric-Jan Wagenmakers, Aaron C. Kay & Michiel Van Elk (2018) Compensatory control and religious beliefs: a registered replication report across two countries, Comprehensive Results in Social Psychology, 3:3, 240-265, DOI: 10.1080/23743603.2019.1684821

https://doi.org/10.1080/23743603.2019.1684821

Rutjens, B. T., & Kay, A. C. (2017). Compensatory control theory and the psychological importance of perceiving order. In M. Bukowski, I. Fritsche, A. Guinote, & M. Kofta (Eds.), Coping with lack of control in a social world (pp. 83–96). Routledge/Taylor & Francis Group.

https://psycnet.apa.org/record/2016-49476-006

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