自己中心的な人間の思考
これまでの心理学の研究によれば、人は他人の気持ちを考えるときでさえ、自己中心的に考えてしまうことがわかっています。
例えば、「自分は○○されると嫌だから、きっとこの人も嫌なのだろう」「自分は○○が好きだから、この人にしてあげたら喜ぶだろう」といった感じです。
この心理はプレゼント選びのときにも起こり、自分がもらって喜ぶものを人にもあげがちという話がありますね。
あらかじめ忠告しておきますが、この先の話は神様や占いといったスピリチュアルなものを強く信じている信心深い人は見ないほうがいいかもしれません。
それでも読みたい!と言う人は、研究者からのキツめ言葉も出てくるので覚悟して読んでください。それでは続きをどうぞ。
都合のいい神様の教え
私たちは自分の信念や好みを思考の出発点として使い、それが最終的な結論に色をつけることになります。
実はこうした自己中心的な思考は、私たちが神様の心を読み解こうとするときにも発生し、自分色に着色されていくことがわかっています。
つまり、神様の意思さえも自分たちが都合の良いように解釈した内容になっていく、ということです。
うーん、信心深い人たちにめちゃくちゃ叩かれそうな研究ですね笑。
神様の意見がつくられたものかどうか調べた
2009年におこなわれたシカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスのニコラス・エプリー、ベンジャミン・A・コンバース、モナッシュ大学(オーストラリア)のアレクサ・デルボスク、シカゴ大学心理学部のジョージ・A・モンテレオーネ、ジョン・T・カシオポ博士らの研究によれば、重要な社会問題に対する神の態度についての信心深い人たちの意見は、彼ら自身の信念を忠実に反映しているという結果が出ています。
このため、もしも自分の考え方が変われば、同時に、神様が何を考え、何を肯定しているかについての認識も変わります。
私たちが神様の意志について考えるとき、自分の意見について考えるときと脳の同じ部分を使って考えをまとめていることも、このような心理が起こる一つの要因です。
この研究では、属性の異なるグループから1,000人の成人を対象に、中絶、同性婚、アファーマティブ・アクション(被差別者への優遇措置)、死刑、イラク戦争、大麻の合法化などの社会的に重要とされる問題についての自分の信念を評価するように求めました。
また、これらの問題に対する神様の考えや、平均的なアメリカ人、ビル・ゲイツ(信心深くないことで知られる有名人)、ジョージ・ブッシュ(社会的立場がよく知られている有名人)の立場についても推測してもらいました。
自分の意見を神様の意見と勘違いしている
その結果、どのケースでも、人々の態度や信念は、彼らが他の人間に対して示したものよりも、神様に対して示したものの方がより正確に一致していること がわかったのです。
つまり、様々な種類の人間たちよりも神様と意見が一致する傾向があったということですね。
しかし、これだけでは、人々が自分の信念を神に刷り込んでいるのではなく、人々が神の信念を自分の信念の指針として使っている可能性もあります。
先に神様の意見があって、それに賛同する形で自分の意見が固まっていったという流れですね。
これならば、神様の信念を自分の都合の良いように解釈しているとは言いきれません。
神様の信念を操作した実験
そこでこの問題を解決するために次の実験では、145人のボランティアに、アファーマティブ・アクションに賛成する強い意見(職場の偏見に対抗するもの)と反対する弱い意見(居心地が悪い問題を引き起こすもの)を見せて、彼らが持つ神様の意志を操作できるのかどうかを試しました。
他の人たちは、対照的に、アファーマティブ・アクションに対する強い反対論(逆差別を助長する)と弱い賛成論(ブリトニー・スピアーズとパリス・ヒルトンは賛成している)を見せられました。
すると、全体的に肯定的なプロパガンダを読んだ人たちは、アファーマティブ・アクションをより支持しただけでなく、神様も賛成派に入るだろうと考える傾向が強くなったのです。
つまり、被験者たちの中にある神様の信念を操作することができたのです。
神様は絶対的な存在ではなく、その人が人生の中でどのような経験をするかによって変化する相対的な存在なのですね。
神様=あなた自身を示す実験結果
さらに、脳スキャンを用いた実験では、自己言及的思考に関連する内側前頭前皮質(mPFC)と呼ばれる部位について調べられました。
mPFCは、他人の考え方よりも自分自身の考え方について考えるときにより活性化する特徴があります。この部位の活性化レベルを調べることで、神様と自分を区別しているのかを調べたのです。
すると、被験者が自分自身の態度や神様の態度について考えるときにはmPFCが活性化し、平均的なアメリカ人について考えるときには活性化しないという結果が出ました。
つまり、私たちは神様の思考・態度・意見について考えるときには、自分自身の思考・態度・意見について考えるのと同じように考えているのです。
決断を神に頼るのは人形になること
研究を主導したエプリー博士はこの研究から得られる最も重要な教訓は、自分の判断や決断を導くために神に頼るのは、精神的な傀儡に過ぎないということである、と述べています。
うーん、この言葉を聞いたら、悩んだときに神様や占いに頼る信心深い人たちは激怒しそうな気がしますね。
この心理を別の心理で例えるのならば、自分が正しいと思った結果に関する証拠だけを集めてしまう生存バイアスや出版バイアスに近いでしょう。
まぁ、神様はデータを示したり論文やコラムを書いてくれるわけではないので、どうしようもないと言えばどうしようもないとも思います。
神様に祈りを捧げているとき、私たちの脳みそは思考が停止します。祈りを捧げているときには、「自分で問題を解決しよう!」とは思えなくなってしまうのです。まだ考えられる余地があるときには、祈ることは後回しにして、様々な方法を考え続けましょう。
— 心理学を解説する ちょっぺ〜先生 (@kruchoro) August 9, 2021
神様はどんな人の信念にも賛同する
さて、最後はエプリー博士のグサグサ刺さる言葉で締めくくりましょう。
「宗教家の中心的な特徴は、人々がどんな方向を向いていても必ず北を指すということである。この研究は、現実に機能するコンパスとは異なり、神の信念に関する推測や考えは、人々がすでに向いている”どんな方向も正しい”と指し示す可能性があることを示唆している。」
参考論文
Epley, N, Converse, BA, Delbosc, AR, Monteleone, GA & Cacioppo, JT 2009, ‘Believers’ estimates of God’s beliefs are more egocentric than estimates of other people’s beliefs’, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, vol. 106, no. 51, pp. 21533 – 21538.